立石洞窟遺跡は真澄が「高馬のような岩が」と残しています。
石材を取るためにダイナマイトで爆破されてだいぶ小さくなったのが現在の様子です。
真澄が見た江戸時代の姿とはだいぶ変わってしまいました。
この石材は線路の敷石に使用されたそうです。
真澄は岩穴を覗き“荒熊とおぼしき腹白きけだものと遭遇し
これは凶暴な熊に違いないと肝を潰して逃げ出した“と残している。
江戸時代のどこでもドア伝説
昔ある漁師がカレイを持ち海岸を歩いていると、突然現れた犬がカレイを奪い取ったため追いかけると洞窟に逃げ込んだ。怒った漁師は入口に石を積み塞いだ。その後、漁師が浪岡に行くと見覚えのある犬が遊んでいた。村人の話では、どこから来たか分からないが、その犬はカレイをくわえて村外れの穴から出てきたと言う。以来この村は『王余魚沢村』と呼ぶことになった言われています。