第八話 浅所海岸にきたもの

「どごでも夜明げ頃さ炊事する。その煙立ぢ上り雲のようにだなびいでらもんだ。とごろがじゃ、この村はそったごどがね。沖がら見だ船人も村の煙見だごどが無ぇどいう不思議じゃった」
とある船長から真澄は清水河村の風習を聞いていた。
――この村では漁業のやり方が違うのか昼に一日のご飯を炊いているようだ。

□浅所海岸まで来たものの
掘差川(ほれさし川)の丸木橋を渡り、口廣村から清水河村(しずかわむら)に入る。
清流で流れが速い川では木流が行われていた。当時は下北半島や津軽半島の青森ヒバが江戸で人気があり、ここでも青森ヒバの出荷がされていたかと想像する。
“そう言えば、ここは桜の名所だったなあ。椿見に来たのじゃが桜も見事じゃ”
両岸のヤマザクラは誰もいなくとも川風に揺れながら咲き誇っていた。
日が傾く前に沼館までやってきた真澄。
――たしか雷電の林が近くにあった。以前は連れが道を急いでいたから寄れなかったが今日こそは詣でたい。と鳥居をくぐり木深い森の道をいそいそと歩く。
ところが間が悪かったのか、汐立川に掛かる橋が氷で破壊され、橋桁が僅かに見えているだけで対岸まで一里余りある。
「向ごう岸の渡舟があるんだが呼んでも聞ごえねべな。詣でる道別にあるはんで」と案内人。
――この冬は寒かったからなあ。しかしこれでは雷電社までたどり着けない。今夜はここに泊まって明日礼拝しよう。と仕方なく川で手を洗いひざまづいて額ずいた。
“この河の渡も浪のいとふかし 世にあさとこと名のみなかれて”
夏泊半島の付け根にある浅所海岸は、小湊川の土砂が堆積し500m沖まで遠浅で、現在は松島・小松島へ橋が架けられており景勝地に渡ることができる。古くから白鳥の飛来地として知られ、『小湊のハクチョウおよびその渡来地』として国の特別天然記念物にも指定されている。白鳥はシベリアから毎年10月中旬に飛来し、3月下旬頃まで滞在しているので、冬期間、夜越山スキー場に遊びに行ったときには立ち寄って欲しい場所だ。
小湊の夏泊半島には、源義経=成吉思汗説の一説である「源義経伝説」が残されている。
「椿山心中」と呼ばれる伝説はこうだ。
「平泉から逃れた義経は、八戸滞在中に地元の豪族佐藤家の娘と深い仲になり鶴姫を産む。しかしその時既に義経は蝦夷地へ旅立った後であった。歳月が流れ成長した姫が阿部七郎という地元武士と恋に落ちる。だが相手は頼朝の家来。義経の遺児との結婚など不可能だ。思い余った2人は、義経を慕い蝦夷地へ逃避行を図るも夏泊で追っ手の手が伸びた。これまでと悟った2人は、半島の絶壁で胸を刺し違えて、海に飛び込んだ」もうこれは和製ロミオとジュリエットである。
ゆえに夏泊半島の椿は二人の悲恋の象徴で、飛来する白鳥は薄幸の娘を慰めるために義経の霊魂が乗り移ったものとされている。
さて雷電社に行くことを明日に延ばした真澄。
――せっかくだから小湊の里を歩いてみよう。
新しい発見が必ずあるから筆者も常に実践していることだ。