第十五話 夏泊半島の伝承伝説

とにかく真澄は筆まめであり物事に疑問を持ち貪欲に探求した。フィールドワークの達人でありヒアリングの天才と言って良いだろう。
真澄の文章の特徴は目の前の情景や出来事に古今和歌集ほか古歌や各地の伝説を想起させる言葉が編まれていることだ。真澄の頭の中には古い和歌の辞書が存在していたのだろう。それにしても初見でそれらを結びつけて書き留めている点は天才肌と言えるかもしれない。

夏泊半島の伝承・伝説
□白滝神社
真澄は“滝といふ村”と書いている東滝は、江戸時代「滝ノ尻狄村」(たきのしりえびすむら)と認識されていたようだ。
その小高いところに滝を本尊とする白滝神社はある。
鳥居の扁額は滝明神とあり、元々は竜神信仰の滝明神であったと思われるが、現在の主祭神は太田神で元禄2年(1689)4月に村中安穏海上安全大漁満足を祈請して建立したとある。
樋から水が流れ出ており、真澄が訪れたときは細い糸のような滝が落ちていたかと想像する。
□江戸時代のどこでもドア
安井碕(現在の鎧碕)の坂を下ると木々の間からタケノコのような姿の白い岩が見えてきた。海岸まで降りてみると高さ五丈(15m)を越える岩だ。根元には岩穴があり内部は広い。
この岩屋を覗いた真澄と案内人。すると薄暗がりに“荒熊とおぼしき腹白きけだものと遭遇し
これは凶暴な熊に違いないと肝を潰して逃げ出した“と書いている。
この岩穴には伝説が残っている。
昔ある漁師がカレイを持ち海岸を歩いていると、突然現れた犬がカレイを奪い取ったため追いかけると洞窟に逃げ込んだ。怒った漁師は入口に石を積み塞いだ。その後、漁師が浪岡に行くと見覚えのある犬が遊んでいた。村人の話では、どこから来たか分からないが、その犬はカレイをくわえて村外れの穴から出てきたと言う。以来この村は『王余魚沢村』と呼ぶことになった。
江戸時代の「どこでもドア」伝説である。
実際に中に入り覗いたが荒熊はおらず、瞬間移動もできなかったので期待しないで欲しい。
昔は五丈余りあったと真澄が書いているが、鉄道工事の材料や小湊築港の埋め立てで天辺から爆破し石材を採取したため、現在は残念ながらその高さや原型を見ることはできない。
もしそのまま残っていれば夏泊半島の景勝地として人気を博していただろう。
□アネコ坂の狐
真澄は板橋から中野を抜け、屋敷山の古道を歩いたのだろうか。ここは調査不足で確かなことは判らない。
茂浦から山路に入りアネコ坂を越える。古狐が住んでいるさびしいところで、夜中にここを通る村人があれば狐がアネコ(娘)に化けて、行灯を付けて、針仕事をしている姿を見せたという。
板橋の里を通り土屋の浦に抜ける「鍵掛け峠」に至った真澄は「かんかけ(鍵懸もしくは神掛)」を見た。「かんかけ」は木の枝に二股の枝を投げかけて、我が想い人の気持ちは自分にあるかと占う。うまく枝が掛かれば願いごとがかなうという。現在も恋愛占いに一喜一憂しているが、昔から純な男女がいたわけだ。
――ほぉ、こぃは出羽地方でよぐ見だ占いじゃなぁ
真澄は出羽を歩いたことを思い出しながら歩みを進める。
現在も地名が残る鍵懸であろう。ここは小湊と並ぶ白鳥飛来地の白根碕がある。