“見し人のけふりとなりしゆうべより名もむつまじき塩がまの浦”
親しい方が煙となって消えてしまった夕暮れから、「睦まじき」という音と同じ「陸奥の国」の塩釜の浦でたなびく、塩焼きの煙まで慕わしく思う。と紫式部が詠んだ和歌が新古今和歌集に残っています。
源氏物語が書かれた時代に、既に陸奥国の塩づくりは有名だったと言えるでしょう。
青森県で塩釜神社という名前がついているのはここだけで、ここ夏泊半島では各地で塩を焼いていたという関係でしょう。
由緒【御祭神:味耜高彦根命 この神社は天正十三年の創立、 建主須藤三九郎、 同十左エ門、 釜師浪岡六兵衛外村中、 一時中絶のところ寛永十一年塩釜の址から銅像の観音 (一尺五寸) 出現、 この旨お上申別堂の造立仰付られ、 現在地に社殿を新築して遷座、 日光院四代山名法印、 造主須藤三郎兵衛外村中、 いつの頃か、 岩木山神社の分霊と伝えられる小像の御神体が同座している。 茂浦島の弁天堂宝暦八年創立、 日光院八世延常法印、 造主須藤権三郎外村中、 この神社は明治初年法令によって廃社となったが、 その後小堂を建立。 終戦後御堂及び鳥居再建、 造主後藤岩五郎。 昭和十年十月十七日、 本殿が拝殿内に併設されていたがこのとき本殿を離して別棟に新築遷座。
ここで珍しいのは鬣の長い古い形の狛犬です。
関西から福井を経由し北前船で入ってきた形式の様です。