第九話 悲恋錦木伝説

“錦木のその名も朽ちず今の世にいひこそ立ち古き例を”
能は『現代能』と『夢幻能』に分類される。「夢幻能」の基本形は、旅人が名所旧跡を訪れると、そこに里人が現われ土地に伝わる物語をして聞かせた後に「私は今の物語の何某である」と言って消え去る第一幕と、ふたたび何某が登場し、昔のことを語り舞踊り、夜明けとともに消えてゆく第二幕の筋立てである。
『夢幻能』を完成させた世阿弥の『錦木』は、シテ役の幽霊がワキ役(坊主が多い)の夢に現れる設定である。

悲恋錦木伝説
雷電社に行くことを明日に延ばした真澄。
――せっかくだから小湊の里を歩いてみよう。と出歩く。
新しい発見が必ずあるから筆者も常に実践していることだ。
この里には昔、往来の道筋に、上槻・中槻・下槻といって、古木の槻の木が3本あった。
「上槻は50年前に落雷、中槻は野火で焼失し、今は下槻しか残っていない。このあたりは昔『錦木の里』と呼んだ」と里の古老は語る。
――錦木塚は毛布(けふ)郡(秋田県鹿角市)にあった。どういう関係なんだろう。
錦木の話は東北各地にある。真澄も青森市久栗坂の矢倉山観音寺にある錦木之塚を訪ね、そこにあった置き石が“犬の伏せた形”と日記に記述している。
“昔より陸奥の習(ならひ)にて、男女の媒(なかだち)には此「錦木」を作り、女の家の門に立つるしるしの木なれば、美しく色どり飾りて之を「錦木」と云ふ”
――そう言えば以前、ここを通ったときは『せのあさ』を見た。昔より陸奥(みちのく)で共通する風習なんだろう。
『せのあさ』とは、男が見初めた女性の家の門に錦木を立てる。「仲人木(なこうどき)」とも呼ばれ、家族に公開の求婚の挨拶と考えれば良い。ゆえに娘本人が承諾しても親が反対すれば成立しない。家族全員が承諾すれば、家の前に置かれた錦木が屋内に取り込まれる。これが求婚者に対して承諾したとのサインになるのだ。
では『錦木伝説』はどのようなあらすじか。
昔、錦木(鹿角市十和田錦木)を狭名大夫(さなのきみ)が統治していた。狭名八代目の狭名大海(さなのおおみ)には、美しい政子姫という娘がいて細布を織るのが上手だった。近くの草木(くさぎ)に住み、錦木を売る仕事にしている若者がある日、政子姫を見て、その美しさに惹かれ恋心を抱き、翌日から一日も休まず、政子姫の家の門の前に錦木を立てた。しかし錦木は一度も家の中に入れられず、家の前に立てられたままであった。一方、政子姫は門前に毎日立てられる錦木を見て、機織りする手を止め、こっそり若者の姿を見るようになり、いつか若者を好きになっていた。しかし身分の違いなどで親は取り入れることに同意しなかった。男は恋い慕う政子のところに振られ振られても3年999夜も通ったのだ。現代ならもはやストーカーだ。
もう一つ重大な、結婚の約束ができなかった訳がある。
あるとき若い夫婦の子どもが大鷲に攫われて悲しんでいると、旅の僧が「鳥の羽根を混ぜた織物を織って子どもに着せていれば、大鷲は子どもを攫わなくなる」と教えた。
鳥の羽根を布に混ぜて織ることは非常に難しい。そこで機織りの上手な政子は、里の村人から機織りを依頼された。
子供を攫われた親の悲しみを自分のことのように思った政子は、3年を観音様に願かけしながら布を織っていた。その願かけのため、政子は若者と結婚する約束ができなかったのだ。
一方、若者はその理由も知らず、毎日せっせと3年もの間、錦木を政子の家の前に立てた。あと一束で千束になる日、すっかり衰弱した若者は、雪中に門前で倒れ死んでしまった。
悲嘆に暮れた政子は、それから2,3日後に、若者の後を追うように死んだ。
2人を不憫に思った政子の父親は、千束の錦木と一緒に一つの墓に夫婦として埋葬したところが後に錦木塚と呼ばれるようになったと言う。