第十三話 都波岐神社と伝説

“影おつる礒山椿紅に染めて汐瀬の浪の色こき”
夏泊半島の突端に位置し一万数千本の藪椿におおわれた椿山。
この辺りは「椿山海岸」といい、日本の渚100選に選定されている。

都波岐神社の不思議
白砂村よりしらす越えの坂道から、雨風がひどくなった。
――ここは一端、休み取りで。
と真澄は考え、浦(村)長の家の軒先で雨宿りしていると、
“雨はやみそうもねはんで泊まっていげじゃ”と浦長に言われ一晩お世話になることとした。
昨夜の嵐は過ぎ去り快晴の早朝、浦長宅を暇して椿碕へ向かう道すがら真澄は思い出す。
――そう言えば男鹿の椿の浦も海榴(つばき)が生い茂っていた。深浦の椿碕にも椿の群落があったが鹿に食われたと聞いた。ばって、海榴ずものは海辺さ生えるものなのか。
自分でも呆れるくらい椿繋がりの話が湧き出てくる。
道を外れて崖を降り浜に出ると、二つある磯辺の山に年を経たヤブツバキが枝木も見えないほど生い茂っていた。花は半ばとのことだが、紅色を含んだ花が朝日にまばゆく映え、潮と花の香りが満ちあふれていた。
――ほうぉこれは見事じゃ。奈良巨瀬の春野の玉椿だとて、とうてい及ばんのう“
朝凪に見事に花が咲いた景色に、真澄は一人呟いた。
さてこの巨瀬の玉椿と真澄は記述したが、現在のどこなのか不明である。奈良町の付近に巨勢町は存在するが椿は見当たらない。寛永年間に興福寺から白毫寺に移された五色椿(樹齢400年で樹高5m)が現在、奈良県でもっとも有名な椿であるが地名が違う。
さて真澄は、子どもたちが散った花を拾い、蜜を吸って遊ぶ中を分け入り椿明神の社の前に出る。
「伊勢がら勧進すてぎだ神様だが?」と浦人らしき者に真澄は問うた。
「いらへて、いなこの神は女神也」と浦人は決めつけて言う。
真澄は素直に女神であると書き留めたが、伊勢の神かと問うたとき、浦人は違うと明確に答えた。
――伊勢の神は天照大神ゆえ女神なのだが・・・。
現在の縁起書には主祭神は女神ではなく猿田彦命とするものもあり、縁起や伝説は輻輳しており、どうにも答えが矛盾しているのである。
古事記では「猿田毘古神」と記述されるこの神様は、天孫降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した猿田彦大神とされる。その謂れから江戸時代に入って「サル」の音から庚申講と結び付けられた。また「白鬚明神」として天狗のような姿で全国各地に祀られている。
椿神社は伊勢から椿と一緒に勧進されたと素直に考えるべきだろう。
伊勢神宮内宮と猿田彦神社は隣であり、伊勢の女神との関係性は深いからだ。
さらに言えば、その猿田彦神社には夫婦であった天宇受売命(あめのうずめのみこと)を祀る佐瑠女神社がある。とすればこの夫婦神を勧進したとすれば男女神が一緒にいても整合性はとれるが、正解は分からない。
「わんか待で~」と言う方もいるだろう。
だが、こうしたことを知っておくことも大切だろう。