第十七話 塩釜神社の不思議

“見し人のけふりとなりしゆうべより名もむつまじき塩がまの浦”
親しい方が煙となって消えてしまった夕暮れから、「睦まじき」という音と同じ「陸奥の国」の塩釜の浦でたなびく、塩焼きの煙まで慕わしく思う。と紫式部が詠んだ和歌が新古今和歌集に搭載されている。
紫式部はこの風景を実際に見ているわけでは無い。だが源氏物語が書かれた時代に、既に陸奥国の塩づくりは有名だったと言える。

□志波彦・鹽竈神社と茂浦塩釜神社の不思議
宮城県塩竈市にある鹽竈神社(正式名称は志波彦・鹽竈神社)の主祭神は、塩土老翁神(シオツチノオジノカミ)で、海幸山幸の逸話に残る山幸彦である。製塩と海上安全、豊漁を司る神様で海に背を向けて海難を背負う形で鎮座しているらしい。
社伝によれば、東北地方を平定する役目を担った鹿島・香取の神を道案内した塩土老翁神は、ここに留まり人々に製塩法を教えたという。
さて茂浦の塩釜神社は塩竈市よりも早い年代に塩釜から御神体が出たため姉にあたるとされる。
何と「姉」とは神様が矛盾する。
どちらも男神であるはずなのだが、姉妹と言われるのはなぜか?
どうやら朝廷の東北進出で目障りだった塩土老翁神の神威に対抗して「瀬織津姫=木花咲耶姫」を祀ったのではないかと想像する。木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)は富士山であり強大なパワーを持つ。自分より美しく高いと言われた八ヶ岳を蹴飛ばして現在の姿にした神様だ。
つまり東北侵略で鹽竈神社の神の書き換えを行ったのだ。朝廷は天照大神を頂点とする天津神が土着の国津神を併合していった歴史があるからだ。
とすれば姉に当たる茂浦塩釜神社の神は「速開都比売」(ハヤアキツヒメ)になるのか。
□橘南谿(たちばななんけい)の『東遊記』
同時代に旅をして『東遊記』と『西遊記』の紀行文を出した三重県津市の出身の橘南谿(たちばななんけい)がいる。本名は宮川春暉(はるあきら)で旅の目的は「臨床医としての見聞を広めるため」と記し、実際に各地で治療を施している。南谿はとにかく徳川の治世は素晴らしいと賛美する傾向があった。真澄が淡々と常民の日常で日記を書いたのと真逆である。
その南谿は塩竈神社を訪れ、塩竈神社の末社『御釜神社』に寄り、日本三奇の一つである神釜を見たことを『東遊記』で書いている。
地誌「奥鹽地名集」には、釜はかつて七口あり、そのうち三口は盗賊に持ち去られたという伝説があり、南谿が訪問したときには4つしかなかった。
向かって右手前の若干小さい神釜が鎌倉時代の作で、その他は南北朝製である。
日本三奇とは、天孫降臨の地「高千穂峰」の山頂にある『天逆鉾(あまのさかほこ)』と、兵庫県高砂市の生石神社にある四角い大石が宙に浮いているように見える石の宝殿、そして御釜神社の鉄製の神釜(見た目は大きなフライパン)である。日本三奇に選定されている理由は、屋根がないところに設置されており、年1回だけ海水の入れ替えをする。干ばつや豪雨があっても、常に水が涸れず、かつあふれないことだそうだ。これが塩釜の地名の由来となっている。