真澄は“滝といふ村”と書いている東滝は、江戸時代「滝ノ尻狄村」(たきのしりえびすむら)と認識されていたようです。東滝となったのは明治時代になってから行政が青森の「滝」それから平内の「滝」2つに渡っているので区別するためにこちらを東滝、青森を西滝と区別しました。
その小高いところに滝を本尊とする白滝神社はあります。鳥居の扁額は滝明神とあり、元々は竜神信仰の滝明神であったと思われるが、現在の主祭神は太田神で元禄2年(1689)4月に村中安穏海上安全大漁満足を祈請して建立したとある。樋から水が流れ出ており、真澄が訪れたときは細い糸のような本当に赴きのある小さなささやかな流れの滝だったろうと想像できます。