菅江真澄を辿る
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離れ小島や浦々の風景
夏泊半島では、真澄は峠からの眺めをよく日記に記述しています。例えば稲生を越えて、小稲荷の山越えでは、油目碕を見渡し、離れ小島や浦々の風景が良いと残しています。浦…
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塩釜神社
“見し人のけふりとなりしゆうべより名もむつまじき塩がまの浦” 親しい方が煙となって消えてしまった夕暮れから、「睦まじき」という音と同じ「陸奥の国」の塩釜の浦でた…
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立石洞窟遺跡
立石洞窟遺跡は真澄が「高馬のような岩が」と残しています。 石材を取るためにダイナマイトで爆破されてだいぶ小さくなったのが現在の様子です。 真澄が見た江戸時代の姿…
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白滝神社
真澄は“滝といふ村”と書いている東滝は、江戸時代「滝ノ尻狄村」(たきのしりえびすむら)と認識されていたようです。東滝となったのは明治時代になってから行政が青森の…
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椿山 菅江真澄 歌碑
昭和62年11月 平内町商工会 平内町むらおこし実行委員会 碑文: 影おつる 磯山椿紅に 染めて汐瀬の 波の色こ(濃)き 菅江真澄
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ふくしまはしから望む高森山
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椿神社
椿山は、全山が1万数千本の椿におおわれ、4月から6月にかけて、丘陵一帯が真紅に彩られます。「ツバキ自生北限地帯」として国の特別天然記念物に指定されています。 椿…
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浅所海岸
浅所海岸は、小湊川の土砂が堆積し500m沖まで遠浅で、現在は松島・小松島へ橋が架けられており景勝地に渡ることができます。古くから白鳥の飛来地として知られ、『小湊…
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雷電宮
真澄が雷電宮へ向かったときは汐立川(盛田川)にかかっていた木橋の橋脚が壊れており、橋を渡って参拝することができませんでした。地元の案内人に別な道を通って雷電宮へ…
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引ノ越山(ひきのこしやま)
昔は小さいながらもコニーデ型の綺麗な火山でした。 大変印象的な綺麗な山の姿だったということで、200数十年前真澄が訪ねた時には絵図を書いています。 昭和35年に…