第十一話 豊穣の陸奥湾

ホタテ貝は「口を開いて一つの殻は舟のごとく一つの殻は帆のごとくにし、風にのって走る。故に帆立蛤と名づく」と、当時は帆掛け船とよく似ているために一片を帆のように立てて海中を走るものと考えられ名付けられた。
養殖方法はネット状の篭にホタテ貝を入れ海中に吊るす「かご養殖」、ホタテ貝の一部に穴を開け、テグスなどを通して海中に吊るす「耳吊り養殖」、篭に入れ一定の大きさに成長させた稚貝を海に放流、2年以上経過してから漁獲する「地まき放流」がある。
野辺地町や川内町は「地まき放流」を行なっており、2大ほたて産地の北海道の噴火湾では「かご養殖」、オホーツク海では「地まき放流」が行われている。

豊穣の陸奥湾
――スラウオは終わったが、トゲクリガニはまだ食わぃるがな、ホタテがいなあ。
などと真澄は陸奥湾の魚に思いをはせる。
沖に津軽衆か、ゑみしが二人で漕ぐ「車懸」の舟が見える。車懸とは西洋のオールのように、船縁の突起に櫂を差し込み、座って漕ぐ舟で、立ち漕ぎする本州の和船とは違う。
――アイヌの人々は津軽海峡往来す、交易すてあったなあ。
と逞しい姿をしばし思い出していた。
陸奥湾は八甲田山や小河川が流れ込み栄養を届けるため、国内でも有数な豊穣の湾で、ホタテやマダラにヒラメ、カレイ、タイ、ウニ、イカ、ナマコ、ホヤほか、豊富な魚種が水揚げされる豊穣の漁場である。特に平内町は『養殖ホタテ発祥の地』で、養殖ほたて水揚げ高日本一だ。
北海道の外海で育ったホタテは、貝柱が筋肉質でコリコリとした食感に対して、陸奥湾のホタテは波の静かな環境で育つため、肉厚で甘く、ぷりぷりとした食感である。
現在、中国による魚介類の全面輸入禁止の影響は少ないが、問題は平成23年からの異常高水温で70%が、へい死という大被害を受けた過去に匹敵するくらいの打撃を受けている。
ここは「ほたて観音」(ホタテ貝の光背と蓮華座が面白い)に回復祈念をしたい。
□間木の浜の塩釜
真澄は陸奥湾の各所で塩づくりを見たに違いない。
間木の浜の手前に来ると数軒の家から煙が立っていたので、好奇心を駆り立てられた真澄は、一軒の家に立ち寄った。
「何すちゅんだ?」と問うと
「この貝殻焼いで白灰にす貝釜の材料作ってらんだ」とホタテの貝殻の山を指さした。
――なるほど、これが深浦で見た貝釜の材料か。
貝釜はホタテ貝やアカザラ貝(紫色を帯びた褐色、赤褐色の貝殻でホタテに負けない味)を焼いて白灰にし、粘土に混ぜて練り固めた釜で焼き塩を作るものだ。
焼き塩づくりは「鉄釜」の越後・能登地方に対し、瀬戸内海エリアは「貝釜」であり、国専売が始まる明治まで普通に使用されていた。政府が地方の産業を壊した酷い一例である。
“しほがまにむすびけぶりの行衛なみ空に吹とく外がはま風”
天明5年8月、真澄は北海道に渡るため、岩館(八森町)から「西浜街道」を北上した。
その道中、深浦町黒崎(岩崎)で海の水を汲んで「貝釜」に入れ、潮を焼く姿を見ている。
ただ青森では「貝釜」は珍しい。来訪者の真澄の好奇心をかき立てたように、この貝釜づくりは平内町の上質な観光コンテンツになり得る。
焼き塩づくりも一連のプログラムとすれば、観光客に訴求するオリジナルコンテンツが完成するだろう。